内省の海

持病との付き合いや日々思うことをつらつらと

判定待ちの人にかける言葉

ツイッターで一次検査が判定保留となった人を見かけた。

確認検査を受けにいくという彼に、大半の人は「陰性でありますように」と声をかけていたが、自分ならどうしただろう。

数ヶ月前、同じく判定保留となり確認検査を受けるまでの自身の心境を思い返してみた。

一次検査の結果を知らされたとき、僕の意識は、きっと何かの間違いだという期待に縋るより、半ば決定事項のように自分は陽性なのだと腹をくくる方向に働いた。

今にして思えば、混乱のさなか少しでも平静を取り戻すための自己防衛だったのだろう。

ようするに言いたいのは、そんなとき「陰性でありますように」なんて言われても気休めにしか思えなかっただろうということだ。

それよりも、判定待ちの間に友人がくれた「どんな結果だとしても私はあなたの味方だよ」という言葉のほうがずっと頼もしかった。

もちろんどんな言葉を望むかは人それぞれで、先に挙げた人たちを非難するつもりはみじんもない(さいわい判定待ちの彼はいたって冷静で、どんな結果でも受け入れる覚悟はできているように見えた)。

しかし判定待ちの人が安易な期待に縋ったあまり、つらい現実に直面して絶望するようなシナリオだけは避けなくちゃならない。